JR宇都宮線栗橋駅東口下車、徒歩約1分
静御前は、源義経の内妻で、兄頼朝の怒りをかい、下向した義経の後を慕い、奥州へ向かいます。途中、義経の討死を知り、悲しみに絶えず、仏門に入り後世を弔うために下向をあきらめますが、立ち戻る途中、病気のためここ栗橋町伊坂の地で亡くなり、当時この地にあった高柳寺(元中田光了寺)によりここに葬られたという伝説が残っています。境内には、墓石・歌碑・義経招魂碑などがあり、全国でも栗橋町を含めて数箇所にしかないという貴重な静桜も植えられています。
悲運の武将、源義経とのロマンスで知られている静御前。奥州へ逃れた義経を追って北へ向かっていた静が義経の悲報に接し、弔いのために一本の桜を野沢の地(宇都宮)に植えたのが、静桜といわれています。栗橋町駅前のひめプラザの隣接に静御前の墓所があり、それを見守るかのように植えられているのが『静桜』です。全国にも数箇所にしかないという貴重な桜です。
地元では通称「大落とし」と呼ばれる、大排水路沿いに植樹された1.5kmに及ぶ桜並木。春の日差しの中、最適の散策エリアです。
寛永元年(1624年)東海道の箱根、甲州街道の駒木野、中仙道の碓氷と並ぶ、幕府治安維持の主要な関所として、置かれていました。
当時、番士は4人、2組に分かれ5日毎に交代で勤務し、関所の規模は約680平方メートルの番所がありました。これは箱根の関所と同規模であり、幕府が北からの警護に力を入れていたことがわかります。
明治2年(1869年)諸道の開門と共に当関所も廃止となり、現在は大正13年建立の石碑が利根川堤防上にあります。
栗橋の利根川流域は全国唯一のハクレンの産卵場所です。例年、梅雨明けになると大雨で水かさが増したのを合図に産卵のため無数のハクレンが群れをなして川をさかのぼり、産卵の直前には、数十匹のハクレンが一斉に1〜2メートル近く飛び跳ねる姿が見られます。その光景は圧巻でありエネルギッシュです。ハクレンは戦時中に中国から食料源として輸入され各地の河川に放流されまたが、卵が流されながら孵化するという特殊な条件から今では利根川流域だけで自然繁殖が確認されています。なお、産卵期の捕獲は禁止されていますので、ご注意ください。
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八坂神社は江戸時代のはじめ(1624年)、利根川橋のたもとに創立され、栗橋の総鎮守として、この町の歴史と歩みを共にしてきました。神社のいろいろな年中行事の中でも、7月に行われる天王様のお神輿は、江戸末期(昭和46年復元)の作で大きく、重く、造りが壮麗で町内を巡幸する姿や担ぎ手の「オイヤサ、オイトサ」の声も勇ましく、そのスケールはほかの追随を許しません。栗橋っ子にとって梅雨明けを告げるうれしい夏の風物詩になっています。
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むかし、現在の利根川に関所が設けられ、人の通行をきびしく取締っていた時代、関所を通らないで渡った者、あるいは、渡ろうとくわだて事前に発見された者は、関所破りの重罪人として火あぶりの刑に処せられたと伝えられています。処刑場も地蔵尊のある現在の場所であったといいます。こうした多数の処刑者を憐れみ、火あぶりになぞらえて、その後土地の人が供養のため炮烙地蔵として祭ったものです。今も炮烙に名前を書き入れ奉納されているのが見受けられます。
栗橋教育委員会