埼玉県商工会連合会
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鴻巣びな

 江戸から京都を結ぶ中山道は、東海道よりも距離は長いものの、大河や海がなく安全であるため、古来重要な街道でした。
 江戸から数えて七番目の宿となる「鴻巣宿」は、慶長七年六月に本宿(現北本市)から移動して成立しましたが、江戸時代中期天保十四年には人口2,274人、戸数566軒のうち本陣一軒、脇本陣一軒、旅籠58軒を数えるなど、宿場町として繁栄していました。
 鴻巣で人形が作られ始めたきっかけは定かではありませんが、一説には江戸時代前期に京都の仏師が鴻巣に移り住み土雛を作り始めたのが最初であるともいわれています。
 江戸時代中ごろにはすでに雛市も開かれており、当時京都などで流行していた高級な人形作りの影響を受けて、高級な人形や破魔矢、羽子板なども作られるようになりました。
 江戸末期ごろには、関東三大雛市(鴻巣、越谷、江戸十軒店)のひとつに数えられるほどの規模となり、特に着物の着付けでは関東一と大評判でした。
 安価で良質な「鴻巣雛」が人気を呼ぶと、江戸の雛問屋との間で職人の引き抜きトラブルが発生、江戸南町奉行所のお白州で争われたというエピソードも残っています。
 明治になると「鴻巣雛」の製作はますます盛んとなり、「県内では越谷六軒、大沢三軒、岩槻三軒」に比べて「鴻巣の人形業者三十軒、職人三百人」という記録がその活況振りを伝えています。
 江戸時代から明治期の「鴻巣雛」は着物に鳳凰の刺繍が施され、女雛は着物の袖から手を出さない形態のものが多いようですが、この着物の生地は、京都の西陣から買い付けていました。
 江戸時代から「ひな人形のまち」として知られる鴻巣では、現在も伝統の技術を守りながら質の高い「鴻巣びな」が製作され、「鴻巣びな」は埼玉県の伝統的手工芸品に指定されています。
鴻巣びなの画像
鴻巣びな